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旧県立広島二中校舎の最期

 投稿者:塚本  投稿日:2015年11月 7日(土)23時44分38秒
  通報 編集済
  1945.8.6原爆を受けた旧校舎は、瞬時に倒壊1,2階共ぺっちゃんこになってしまつた。また、鉄筋コンクリート造りの講堂は少し遅れて屋根、天井が、崩れ落ちた。暫くして、小使室のほうから火が出て、瞬く間に、校舎は、跡形も無く焼失した。教員室には、唐崎教頭先生と中谷先生(テボ)がおられたが、唐崎教頭は亡くなられ、中谷先生が、生徒の指揮を取られた。何人かの生徒が、登校していたが、亡くなられた人もあり、1年,2年生合わせて何人いたのか、不明である。以上が1年3学級の米田君がその年の7月末、江波山にあつた唯一の最新式の高射砲がB24の編隊の最後尾の爆撃機撃ち落とした時、高射砲弾の破片で背中を負傷した為、東練兵場の作業を欠席していて、たまたま8時15分の原爆投下のとき、運動場に出ていて、校舎の方向を見ている時、校舎倒壊の、様子を間近に見たので、皆に全部話するからよく聞いてくれと言って、数年前、クラス会で話をしてくれたものの一部を塚本が覚えているすべて書いたものである。ただ、数年のうちに記憶が薄れ、忘れているところも多いと思われるので、米田兄には、改めて当日のことを尋ねてみるつもりだが、ほかの生徒さんで、当日登校しておられた人には、是非思い出話をこの掲示板か、直接塚本まて、お知らせください。  
 
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