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続アオさんの決断

 投稿者:塚本  投稿日:2021年 4月 3日(土)17時25分14秒
編集済
  1945年8月の疎開作業1,2年交代は何日から始まったか。4月1日投稿版では8月1日と書いていますが、当時の日記によると、8月4日に始まっています。8月5日は2年生は疎開作業終了後関本先生から「明日は登校だが、東練兵場の草取りに行け」という指示を受けています。我々は、疎開作業の順番と東練兵場草取りという2つの幸運に恵まれていたわけです。
 
 

アオさんの決断復刻2010年版

 投稿者:塚本  投稿日:2021年 4月 1日(木)17時57分17秒
  時々昔を振り返って見るのも一興かと思いコピーしてみます。何しろ我々にとっては一生を決めた忘れられない一瞬ですから。


アオさんの決断  投稿者:塚本 昭メール  投稿日:2010年 7月 2日(金)15時57分58秒   通報
しばらく続いたアオさんの呪文を中村兄が縄文塾通信に書かれましたがその最後にアオさんが突然8月6日に、登校でなく東練兵場に変更の決断をされたため我々2年生が命拾いをした事を荒谷兄から知らされて感慨を覚えたと記しておられます。
初耳で驚いたのですが私の記憶では7月の末に古田校長先生が作業現場を視察されて、余りに人数が多いため効率が悪いので、1年と2年を8月1日から交代で作業するように指示され、最初に2年生が疎開作業の当番になったため順番で8月6日が東練兵場に行くようになったとばかり思っていました。疎開作業の当番日以外の作業がはっきり東練兵場の芋の草取りだったと断言できるほど記憶ははっきりしていませんが逆に登校することになっていたとの記憶もありませんが、8月6日が初めてでは無かったことはたしかです。それと前日の夕方の「突然」ですと管理している軍隊への連絡はとれたのでしょうか。8月6日以前に東練兵場に作業に行って、昼に草餅(江波だんご?)を西の方にあった軍?の連絡所に人数分貰いに行った記憶がありますので、事前に連絡を取っていなければならないのでは、と思います。勿論荒谷兄の記憶は正しく否定することにはならないのですが解釈の自由度があるようです。私自身アオさんから前日終業時に公に全員に言い渡された記憶がありませんので、1年、2年交代作業になったとき基本的な作業場所はきまっていたのではないでしょうか。でないと、勝手に先生だけで生徒達を動かすことが許されていたということになります。これについての疑問は「ポプラは語り継ぐ」の編集者浅野兄が当時洩らされたことに、寄稿文を読むと2年全員が東練兵場に行ったのではなく玉田先生が何人か率いて別のところに行っていたとの記述があるとのことでした。というと、先生レベルで勝手に生徒を動かすことが出来るようになっていたのでしょうか。
それと8月2日と8月4日はどうしたかという記憶をどなたかお持ちでしょうか。
皆さんの記憶を集めて議論してみたいですね。
 

本当は怖くないコロナウイルス?

 投稿者:塚本  投稿日:2021年 3月25日(木)19時34分5秒
   

十年前のアオさんの呪文を探す方法

 投稿者:塚本  投稿日:2021年 3月 3日(水)00時01分21秒
編集済
  数列からだと選び方でばしょがずれるようです。したの小さい文字の方の[検索〕に「アオさんの呪文と書いて検索する方が早いです。一番下の大きい文字で□に囲まれた検索欄がありますが、これはgoogleかbingの検索サイトで検索するものなので、記事の検索はできません。
 

十年前のアオさんの呪文

 投稿者:塚本  投稿日:2021年 2月27日(土)18時34分5秒
編集済
  歴史は繰り返すと言いますが、上の数列の次のページをクリックして大きい数字に繰り下げて行って「60」あたりに来ると、故荒谷勲君の「アオさんの呪文文法」の一文を書き込んでおられます。それが引き金で故中村忠之君、や浅野温生君の書き込みが続いています。
同様に昔の書き込みをスクロールしていると「映画談議または映画狂」の一連書き込み群が出てきます。所々で書き込みの山が出て来る傾向があるようです。
この掲示板の最初の書き込みは2007年中村忠之君です。時々昔を振り返ってみるのも一興かもしれませんね。もちろんその上でアオさんの呪文談議を新しい最近の社会情勢に沿って是非続けて下さい。今、コロナという摩訶不思議な魔物?に振り回されているので何とかこれに効く呪文を書き込んで下さい。
 

アオさんの授業

 投稿者:橋本  投稿日:2021年 2月27日(土)16時17分35秒
編集済
  「ヲニトヨリに会えば帰る」漢文では動詞が目的語の前に出るようです。いまだにあの頃の授業や仲間を思い出します。二中一年
三組のときの担任、関本雪象先生(アオさん)の呪文?ですか、さらには。
む睦、きさらぎ衣更着、やよい弥生、う卯、さ皐、みな水無、ふみ文、は葉月、なが長月、かんな神無月、しも霜月、しはす師走、
きさらぎ衣更着、当月2月は寒いので重ね着をする意味でしょうか、12月は先生も走るほど忙しいことのようです?

已すでは中、己おのれは下につきにけり、巳みはみなつきて、イキシ、とぞ読む。
例えば大河ドラマの明智光秀役 長谷川博己(ハセガワヒロキ)さん おのれはしたにつきにけり。
 

浅野温生兄逝去

 投稿者:塚本  投稿日:2021年 2月23日(火)22時53分59秒
編集済
  浅野温生兄が去る2月21日十二指腸ガンの悪化のため逝去された。享年89。卒寿の祝いを今年中には迎えられたのにと思うと、又、コロナ禍の為我々(久保田、橋本赳、塚本)は最後のお姿を見ることが出来なかったことに改めてコロナの恐ろしさに気づかされたのであった。
彼が23期生に残された一番大きな宝物は60歳の還暦を機に世界初の原爆被爆の体験記録の集大成「ポプラは語り継ぐ」である。彼は監査役という重要な職をこなしながら、編集業務は新聞記者としては本職であろうが素人の書いた文章を添削するのは大変だったのではと思い至るのであるが。完成した冊子は、彼の手で市内の高校、公立図書館、原爆資料館などへの寄贈のほか国立図書館に納本、蔵書として登録されている。紙の冊子では数が限定されるので現在は芸陽観音同窓会事務局で電子化(pdf化)したファイルをCDとして保管されている。時々、広島の原爆被害の研究されている大学の先生などから分けてほしいという要望があり、その都度事務局から送付してもらっている。
23期生同期会の創立に当たっては、世話人の一人として、同期生の住所録つくりから始まって、運営上のこまごまとしたこと特にメンバーの近況報告集の作成にはいろいろ工夫をして会の永続に貢献された。88歳米寿を機に同期会が解散したあとにも有志で作った「ダベリ会」に参加していただき、病気でお休みになるまで付き合って頂いた。その高潔な人柄は色んな人々から慕われて我々のグループだけでなく国民歌謡をもう一度唄う会などNHKの番組に特集された事もある。「巨星墜つ」寂しくなった。
添付記事は中国新聞訃報欄より

 

再び血液型とコロナにかかりやすさ

 投稿者:塚本  投稿日:2021年 2月20日(土)11時45分19秒
編集済
  最近のyoutubeに出ていた情報:
一番多いA型を基準にしてO型<B型、AB型かかりやすい。Rhマイナス<Rhプラスだそうです。
YouTubeより

https://www.youtube.com/watch?v=vKSKnbsXsX4

 

平和と希望のコンサートⅢyoutube

 投稿者:塚本  投稿日:2021年 1月11日(月)21時11分42秒
編集済
  山本定男兄のご投稿有難う御座います。この掲示板はyoutubeに限り特に投稿できますので、せっかくの山本兄の雄姿が簡単に拝見できる様にyoutubeの動画を転載させて貰います。スタートボタンを押して表示される「youtubeで見る」をクリックしてください。

 

平和と希望のコンサートⅢ

 投稿者:山本定男  投稿日:2021年 1月11日(月)15時18分49秒
  令和2年11月28日、エリザベト音楽大学セシリアホールで被爆75周年記念「平和と希望のコンサートⅢ」が開催されました。その第1部で原爆で全滅した広島二中1年生を追悼する「男声合唱のためのレクイエム『碑』」全9曲が歌われています。この曲は昭和44年10月9日に放送された広島テレビの原爆ドラマ「碑」を見た当時2年生であった山本定男が、これは音楽としても残すベきだと思い立ち、合唱曲の創作を原爆ドラマに制作に大変な尽力をされた薄田純一郎氏に作詞を、当時作曲家で福岡教育大学教授の森脇憲三先生に依頼して出来上がったのがこの曲です。初演は昭和45年10月2日、広島市公会堂で指揮:山本定男、合唱:広島メンネルコールで演奏され大きな反響を呼びました。この曲は作詞者・作曲者・初演指揮者とも奇しくも広島二中の出身で、幼くして散った後輩への思いが伝わって来ます。
2020年の広島は被爆75周年です。これを記念して広島県合唱連盟では「平和と希望のコンサートⅢ」を企画し、レクイエム「碑」の他、第2部では少年少女から大人まで世代別の歌声も披露しています。フィナーレでは、「碑」の最後の曲「終章」を英訳した歌詞で歌っています。これも是非お聞き下さい。
なお、全ステージをyou tubeで世界発信していますので、ご覧下さい。URLもあるのですが、平和と希望のコンサートⅢで検索され、動画配信のご案内から見られるのが最も確実です。宜しくお願いします。

http://youtu.be/A8Cacza1f70

 

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